堀米町

  1. 景行天皇55年2月、豊城入彦命の孫、彦狹島王が東山道15カ国の都督に任命され、赴任の途中この地で亡くなられ、御遺体を葬った故に、村名を堀籠邑と称したとのことです。(遺体を堀り籠めたということ)永正3年3月、更に堀米と改めました。
  2. ホリは鑿(のみ)、穿、掘の意味で、抉りとられたような地形をいい、ゴメ(コメ)は動詞コム(込む)の連用形が接尾語化したものと解されます。つまり、水が入り込むとか、水びたしになるの意から、河川の氾濫によって浸食を受けた地に由来する地名だという説があります。
  • 堀米町(安良町上)
    不明
  • 堀米町(安良町下)
    不明
  • 堀米町(内堀米)
    不明
  • 堀米町(菊川)
    比較的新しい集落で、200年程前、外の集落から新しくやってきた人が住みつき、「新家」近くに川があることから「新川」転じ、「菊川」となったといわれています。
  • 堀米町(七区)
    堀米町(まち)にできた七番目の町会であるからといわれています。ただし、他町会には1区から6区までの割り当てはなく、七区のみ存在します。
  • 堀米町(朱雀)
    不明
  • 堀米町(横手)
    不明
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更新日:2019年12月02日