須永文庫資料
須永 元(すながはじめ)〔慶応4年(1868)~昭和17年(1942)〕
号を輹斎。須永元は、豪農であり水車業も営んでいた須永市重郎の長男として下野国安蘇郡天明町(現栃木県佐野市)に生まれ、少年期より詩文に長じ、漢詩家の岡本黄石(元彦根藩家老)らの教えを受けました。
慶應義塾に学んだ元は、福沢諭吉や朝鮮人留学生との交遊により朝鮮問題に関心を深め、日本に亡命していた朝鮮独立運動家金玉均や朴泳孝を始めとする多くの人々とかかわりをもち、その活動を援助しました。一方、東京遊学中は、漢学者、東京帝国大学教授で二松学舎創立者の三島中洲や、歴史家で東京帝国大学教授の重野安繹(やすつぐ・雅号を成斎)に漢学・史学も学んでいました。
明治28年(1895)朝鮮に渡り朴泳孝の旧宅に寄寓しますが、この年朝鮮王妃閔妃刺殺事件が起こり、事件に関わりがあると疑われました。しかし、この時は病床におり、事件には直接関わりませんでした。この事件前後にかけて元は多くの朝鮮の人の知遇を得、帰国後も同志として交際を続けました。
また、明治37年(1904)には、栃木県下都賀郡桑村喜沢(現栃木県小山市)に農園を開き、大正10年(1921)には、久慈川水力発電所株式会社の設立に参画する等、我が国産業の振興に尽くしました。
須永文庫資料
資料概要
須永元旧蔵の資料で、昭和17年に元が亡くなった後、この資料は財団法人日韓国士顕彰会によって管理されていましたが、同37年(1962)に同顕彰会の解散にともない、一括佐野市に寄贈され、現在「須永文庫」として、当館と佐野市立図書館が分割して収蔵しています。書籍類は和洋書、漢籍・準漢籍で約13,000点にも及び、当館が約10,000点を保管しています。その中には、元と朝鮮亡命政治家との関係だけでなく、近代日朝関係を研究する上でも貴重な資料が多く含まれています。
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更新日:2019年08月14日