大網山城跡等(おおあみさんじょうせきなど)
大網山城跡は、富士町にある山城跡で、唐沢山城から沢をへだてて1.5キロメートルほど南東の、大網山の山頂に位置しています。佐野氏の家臣の居城と思われますが、築城年代や城主・居住者は分かっていません。築城は古代にさかのぼるとされますが、現在確認できる遺構は戦国時代のものと考えられます。大網山の山頂は、方形の平坦な曲輪になっています。南北に連なる尾根には、南側と北側にそれぞれ少なくとも2カ所の堀切を確認することができます。
また、唐沢山城から1.8キロメートルほど南の屋形山の山頂にあった屋形山城は、文明2年(1470)、佐野越前守師綱が築いたと伝えられています。天正13年(1585)佐野宗綱戦死後、北条氏忠が佐野家の養子に迎え入れられましたが、家中に反対派も多かったため、氏忠は唐沢山城には入らず、屋形山城に入城したといわれています。現在はゴルフ場になり、城跡としての遺構が確認できなくなっています。
唐沢山城から2.4キロメートルほど南南東の平地には、佐野宗綱塁城がありました。大貫越中守政宗が居住していましたが、屋形山城に氏忠を迎えて奢侈増長が目立ったことから、佐野家の家臣により当所が襲撃され、殺害されたと伝えられています。現在、城跡は判然としませんが、城跡の東側には南北に伸びるくぼ地があり、そこが堀跡とも考えられます。
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更新日:2019年12月02日