高久靄ガイ《山水図》

更新日:2023年03月30日

高久靄ガイ《山水図》当館蔵の写真
作品情報
作品名 山水図
作品名よみ さんすいず
作者名 高久靄ガイ
作者名よみ たかく、あいがい
作者生没年 寛政8~天保14年(1796~1843)
制作年 天保9年(1838)
寸法(センチメートル) 縦183.1、横96.9
材質技法・員数 紙本墨画、一幅
備考1  
備考2  
English TAKAKU, Aigai

作品解説

下野国那須郡杉渡土(現・栃木県那須塩原市)生まれ。馬方や煙草切り職人として働くかたわら画才を現し、小泉斐(檀山)や平出雪耕に学んだと伝えられます。鹿沼(現・栃木県鹿沼市)の鈴木松亭のすすめで、本格的に画の研鑽を積みました。仙台遊歴の後、文政元年(1818)27歳で江戸に出て谷文晁に入門します。古画の模写に励んで頭角を現し、渡辺崋山らと共に「谷門四哲」の一人に数えられました。京都・大坂遊歴を経て天保9年(1838)、江戸薬研堀に「晩成山房」を構えます。伊孚九ら中国画や池大雅の画を慕い、特に山水に優れました。天保14年(1843)死去。

靄ガイの活躍の背後には、鹿沼の鈴木松亭や山口安良、江戸の豪商・大橋淡雅(現・小山市出身)ら、下野国ゆかりの支援者の後押しがありました。佐野にも須藤蘭圃ら知友があり、当地(佐野市葛生)の吉澤松堂宅にも滞在しています。松堂宛ての靄ガイ書簡からも親交がうかがえます。

本図は天保9年、靄ガイ43歳の時の大幅で、松堂為書を持ちます。西洋画など諸派の融合に積極的だった文晁門下には珍しく、靄ガイは正統的な南画山水の画風を保ちました。米点(横長の楕円点)を多用しつつも重苦しさのない明るい雰囲気に仕上がっています。『靄ガイ画集』所載。

 

(注)ガイは崖のやまかんむりの無いもの。

作品展示情報

この記事に関するお問い合わせ先

佐野市吉澤記念美術館

〒327-0501
栃木県佐野市葛生東1-14-30
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