田崎草雲《怒涛・牡丹図》


作品名 | 怒涛・牡丹図 |
作品名よみ | どとう・ぼたんず |
作者名 | 田崎草雲 |
作者名よみ | たざき、そううん |
作者生没年 | 文化12~明治31年(1815~1898) |
制作年 | 江戸時代末~明治初期 |
寸法(センチメートル) | 各縦158.2、横330.0 |
材質技法・員数 | 紙本着色、六曲一双 |
備考1 | |
備考2 | |
English | TAZAKI, Soun |
作品解説
文化12年(1815)、下野国足利藩士の子として江戸の足利藩邸内に生まれました。谷文晁門人の金井烏洲、加藤梅翁、春木南溟らに師事し、渡辺崋山や田能村竹田に私淑したほか、明清時代の中国画にも多くを学びました。各地を遊歴したのち嘉永6年(1853)に足利藩画師として登用されます。幕末期には勤王の士として活動し、維新後は再び画業に専念、明治11年(1878)足利に白石山房を構えました。同10年(1877)第1回内国勧業博覧会をはじめ国内外の博覧会等で高評を得ました。同23年(1890)帝室技芸員。同31年(1898)死去。
本作は、足利(現・栃木県足利市)に隣接し往来も多かった桐生(現・群馬県桐生市)の五丁目の祭屋台の襖絵の一部でした。大正6年(1917)に発行された『後編白石山房画譜』(須永金三郎)によれば、それぞれ「青海白波」(怒涛)、「沈香春風」(牡丹)という題を持つ各10面の襖絵で、表裏をなしていたといいます。昭和16年(1941)の『草雲先生遺墨帖』(小室翠雲編)までには各図が六曲一隻屏風と二曲一双屏風とに分割され、うち両図の六曲屏風部分が本作です。本屏風は中国風を意図したものか、「牡丹図」の量感豊かな水流は明代花鳥画、穴の開いた青い岩や牡丹の描写は南蘋風を思わせ、「怒涛図」は中国画譜の学習が考えられます。
作品展示情報
今後の展示は未定です。
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更新日:2021年03月29日