盛綱と本光寺
関東では、古河公方と関東管領・上杉氏が対立した享徳の乱(康正元年~文明15年)により、戦国時代に入り、佐野氏も古河公方方の武将方として戦乱に巻き込まれていきます。このような情勢のなかで、佐野盛綱は唐沢山城の改修を行うとともに、麓の栃本周辺の整備を進め、これまでの清水城(吉水町)から拠点を移していったと考えられます。
文亀二年(1502)、盛綱により唐沢山城の北方に位置する青柳山麓の大黒沢(別名を本光沢)に、本光寺が創建されます。「本光寺開創記」には、創建の経緯が、佐野氏と忍(行田市)の成田氏との戦いの様子とあわせて記されています。
大永七年(1527)に盛綱が没し、その廟所(墓所)が本光寺に築かれると、以後の佐野氏歴代の廟所も築かれていき、菩提寺として栄えます。しかし、佐野氏の改易後に取り壊され、その後、栃本町の現在の場所に再建されます。
現在、大黒沢の本光寺跡地を訪れると、秋山川沿いに切り立った断崖の上に立地して眺望がきくことや、土塁状の地形もわずかに残っていることから、実際には防御施設としての性格も有していたようであり、戦乱の世に創建された寺院であったことを、あらためて実感することができます。
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更新日:2019年12月02日