泰綱、連歌師を招く
永正6年(1509)、当時関東を旅していた連歌師の宗長(そうちょう)はその旅路で佐野を訪れており、その時の様子が宗長の旅行記「東路の津登」に記されています。それによると、宗長は佐野家第25代の泰綱(やすつな)の屋敷に招かれ、越前守とともに連歌を楽しんだ、とあります。泰綱亭については、根小屋地区(現在の栃本町)に所在した可能性も考えられます。
連歌とは、同じテーマの和歌を複数の作者で次々と詠んで繋げてゆくという遊びで、京都を中心にその流行は地方にも及んでいました。
宗長は6日間滞在した後、北方へと旅を続けていますが、その帰路でも佐野に再び立ち寄っています。ここでは7日間滞在し、「佐野の舟橋」の跡を見るため葛生のふる恋路(現在の古越路)などを訪れた後、今度は越前守亭にて連歌を行っています。このことからも、佐野家の武将たちが宗長との交流を歓迎しており、上方の文化にも親しんでいた様子が伺えます。
戦国の時代に武将たちは佐野家の興隆に奔走しており、家長として長きに渡って佐野家を治めた泰綱もその例外ではないでしょう。しかし、そうした厳しい日常の中でも、文化的な営みを求める心を忘れずに持っていたことが、こうした記録から伺うことができます。
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更新日:2019年12月02日