戦国・近世初頭における佐野氏と唐沢山城

「松陰私語」より享徳の乱における唐沢山城(当時は佐野城といわれていた)攻めの記述部分に赤線が引いてある写真

『唐沢山城跡調査報告書』にお寄せいただいた調査指導委員会座長の峰岸純夫氏の論考を引用してご紹介します。

享徳3(1454)年、関東の戦国時代の始まりとされる享徳の乱では、佐野盛綱が活躍し、この乱の最中に唐沢山城が構築されたと考えられます。その後、越後の上杉氏、相模の北条氏、甲斐の武田氏が関東への進出を競う「三つ巴の争覇」となり、佐野氏は勢力のはざまで奮闘し、天正12(1584)年、北条氏と佐竹氏らが対立した沼尻の対陣では佐竹方に与します。その後、佐野氏は北条氏の勢力下に入り、北条氏忠が佐野氏を継ぎますが、天正18(1590)年、北条氏滅亡により天徳寺宝衍(佐野房綱)が唐沢山城へ返り咲き、豊臣秀吉と関係の深い富田信種を養子として迎えます。

以上に示した佐野氏の変遷の中で、享徳の乱における初期唐沢山城の位置や形、氏忠の入部による北条氏城郭への改変、天徳寺が秀吉の下で見てきた織豊系城郭の技法の導入など、唐沢山城がどのように変貌していくか、発掘調査を含めて検討していく必要があるとのご提言をいただいています。

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更新日:2019年12月02日