技術的に劣っている大工を、ブッツケデークとかセッチンデークなどといった

昭和のなかば頃まで農家はおおむね木造建築でした。
麻のくきで葺いた屋根は、通称「オガラ屋根」、あるいは「オガラブキ屋根」と呼ばれていました。
この頃、農家は昔風の家を現代風な家に建て替える過渡期にありました。大工は猫の手も借りたいほどの忙しさでした。
数いる中には、技量の劣る大工がいて、このような大工をへっぽこデークとかへぼデークなどといっていました。
しかも下手なくせに手抜きをし、やたらに釘を打ち付けたり、仕事が雑だったりしたので、この大工をブッツケデーク、またはオッツケデークなどといいました。
「ブッツケデークが建てた家だって、最初、見た目ニャーいいけどさあ。造りが雑で手抜きだから、がたが来るンナ(のは)かなりハエー(早い)ダンベよ」
農家には昭和のはじめ頃まで、ほっ建て小屋のような粗末な造りの便所がありました。それを外便所といいましたが、まれにセッチンという人もいました。セッチンとは仏教語(禅宗の用語)で便所のこと、漢字では雪隠と書きます。拙い大工は便所ぐらいしか建てられないということから、明治の人の中には、あざけってセッチンデークといいました。
昭和になると、内便所のある農家が増えてきました。
禅宗では便所のことを雪隠というほかに、高架ともいいました。内便所は上(高い所)にあるというので、正しくは上高架ですが、訛ってカミゴカ・カミコーカといいました。これがさらに変化してカミオーカともいいました。
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更新日:2021年01月29日