歴史・伝統

語り継がれる歴史

「佐野」の地名が、記録上、初めて登場するのは、平安時代の荘園名である「佐野庄」という記事からです。「兵範記」という当時の記録には、左大臣藤原頼長に寄進されていた荘園が、保元の乱(1157年)で勝利した後白河天皇の所有になったことが書かれています。そして、佐野庄は後白河天皇の側に立った藤原 秀郷の子孫と称する藤姓足利氏(後の佐野氏)とその一族によって治められるようになりました。

源 頼朝が挙兵すると、佐野氏は頼朝に味方し、源平合戦や奥州平泉の藤原氏討伐に従軍し、鎌倉幕府から御家人として認められました。さらに、南北朝の動乱が起こると、佐野氏一族は北朝方と南朝方に分裂し、同族内で対立することになりました。

室町時代になると、北朝方についた佐野氏は関東地方北部を治めた古河公方に代々仕え、この地域を支配しましたが、やがて一族のなかから有力なものが戦国大名佐野氏に成長しました。

戦国時代末期、佐野氏は、現在の佐野市とその周辺を支配し、その拠点になったのが唐沢山城です。築城時期は不明ですが、佐野は交通の要衝にあるため、越後の上杉氏や相模の北条氏などにも攻められ、たびたび改修が加えられた結果、高石垣を備えた関東でも有数の山城になりました。

江戸時代のはじめ唐沢山城主佐野信吉は、佐野城(現城山公園)の地に移城するよう幕府から命じられ、さらに慶長19年(1614年)所領も没収され、佐野氏の支配は終わりを告げました。

信吉の改易以後、佐野地方は幕府の直轄地となり、次いで元和2年(1616年)譜代大名本多正純の領地となりましたが、同8年正純も改易され、再び幕府直轄地となりました。その後、彦根藩、古河藩、館林藩などに統治されましたが、彦根藩以外は長く続かず、やがて堀田佐野藩や対馬藩、多くの旗本知行地に分割統治されることになりました。

明治2年(1869年)政府は、各大名に命じて領地を天皇に返上させ、藩主を知藩事に任命し、さらに2年後には藩を廃止して県を置きました。そのため彦根県や佐野県ができましたが、わずか4ヵ月で栃木県に統合されました。そして、明治22年(1889年)に市制・町村制が施行され、現在に繋がる原型となりました。

平成17年2月、佐野市、田沼町、葛生町の1市2町が新設合併し、現在の佐野市が誕生しました。

鉱毒事件に生涯を捧げた正造翁

田中正造の遺品の書物と立像の写真

田中 正造は、安蘇郡小中村(現佐野市小中町)に生まれました。明治23年(1890年)の第一回衆議院議員選挙で当選し、明治24年(1891年)の第2回帝国議会での鉱毒被害に関する質問書の提出を初めとして、足尾銅山の鉱毒問題に取り組みました。鉱毒問題の解決を願い明治天皇に直訴しようとしましたが、取り押さえられ願いはかないませんでした。その後、渡良瀬川の遊水池計画の反対運動に尽力し、候補地となった谷中村(現栃木県藤岡町)に移住し、村民と共に闘いました。

受け継がれる伝統

天明鋳物

梵鐘、仏像、鰐口、茶釜、燈籠、湯釜、床置、花瓶、火鉢等の美術工芸品の写真

一千余年の歴史を生き抜いた佐野の鋳物は、天明鋳物と称されています。梵鐘、仏像、鰐口、茶釜、燈籠、湯釜、床置、花瓶、火鉢等の美術工芸品から風炉釜、鍋等の日用品や農具、また需要の変化に伴い、機械工業の関係機器分野にも進出するようになりました。

ひな人形

お内裏様とお雛様のひな人形の写真

例幣使街道の宿場町として栄えた佐野には、東照宮造営で全国から集まった職人たちが住み着き、人形を作ったことが始まりといわれています。その技術によって作られた衣裳着雛は、栃木県の伝統工芸品に指定されています。

土鈴

猫や龍など6点の土鈴の写真

佐野の土鈴は、相澤 一太郎氏が、大正9年に創業しました。成形は一つ一つ石膏型に指で押し込み、心を込めて作り上げています。これを松薪で13時間。一千度の高温で焼き上げ、一つ一つ念入りに彩色します。平成六年には、栃木県伝統工芸品に指定され、その清らかな音色は、魔を払い、幸せを招きます。

飛駒和紙

飛駒和紙を使用した折り紙の作品、しおり、書道の写真

飛駒町の和紙は江戸時代、桐生川の上流、入飛駒(現桐生市)から伝わりました。自生の楮(こうぞ)から漉いた飛駒産の生紙は、色は少々黒いが丈夫で長持ちと評判で「飛駒八寸」と呼ばれ、古来障子紙や大福帳に愛用されてきました。

牧歌舞伎

江戸時代の衣装をまとった人々による牧歌舞伎の演技中の写真

県内で唯一江戸時代から現在まで受け継がれている地芝居で、江戸時代後期に江戸の歌舞伎役者・関三十郎により伝えられたのが始まりといわれています。昭和35年に栃木県重要無形文化財に指定されました。(昭和52年に無形民俗文化財に指定変更)

歴史の声が聞こえてくるまち

佐野市には、郷土の歴史や文化を伝える施設とともに、貴重な美術品を所蔵した美術館があり、訪れた人々に先人たちのメッセージを伝えています。

吉澤記念美術館

吉澤記念美術館の外観写真

葛生地区にある漆喰の白壁と日本瓦が美しい吉澤記念美術館は、葛生の旧家、吉澤家から美術品と美術館建物の寄贈を受け、江戸時代から現代にかけての日本絵画、近現代の陶芸作品、著名な作家の優品や地域の美術・文化史にとって重要な500余点の作品が収蔵されています。

人間国宝 田村耕一陶芸館

田村耕一氏の作品が展示されている陶芸館の内覧写真

佐野市出身の陶芸家で、人間国宝として認定を受けた田村耕一氏の作品を数多く展示しています。

郷土博物館

考古・歴史・民俗等に関する資料が展示されている郷土博物館の内覧写真

佐野市を中心とする地域の考古・歴史・民俗等に関する資料を展示しています。また、田中正造翁を顕彰する展示室が設けられています。

葛生化石館・葛生伝承館

化石館には石灰岩から産出する化石を始め、葛生層と呼ばれている地層から完全な形で発掘された「ニッポンサイ」の復元骨格や、脊椎動物の化石などが展示されています。そして伝承館では、地域の文化、芸能に関する貴重な資料約600点が収蔵、展示されています。

「ニッポンサイ」の復元骨格が展示されている写真
葛生伝承館の外観写真
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更新日:2019年12月02日