享徳の乱と唐沢山城の築城

唐沢山城と関連城跡周辺の山々と田んぼと民家などを空から写した写真

関東における戦国時代は、京都における応仁・文明の乱に先立って享徳3年(1454)に起こった享徳(きょうとく)の乱(鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏の抗争(こうそう))に始まります。25年に及ぶこの内乱の過程で、両軍の軍事的境界となった利根川の両岸や主要街道(東山道や鎌倉街道)の要地に城郭(じょうかく)が構築されました。

この戦乱を活写した長楽寺の僧松陰(しょういん)の記録「松陰私語」によると、文明3年(1471)に上杉方が利根川を越えて東山道に出撃した時、足利の八椚(やつくぬぎ)城、佐野の唐沢山城、岩舟の甲(かぶと)城、上野の館林城などを攻撃しています。

唐沢山城攻めでは、新田岩松氏の武将横瀬国繁が、城を包囲して圧力をかけて立籠(たてこもる)佐野盛綱らの行動を釘付けにしました。

調査指導委員会座長・峰岸純夫(文献史学)

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更新日:2019年12月02日