赤見城跡(あかみじょうせき)
赤見城跡は、赤見町(町屋)に所在する平城跡です。『野州安蘇郡根古屋唐沢丑ケ城東西南北目付』(唐沢山神社文書)には、城の規模は東西約450メートル、南北約360メートルに及び、さらに複数の曲輪が築かれていた様子が記されています。現存しているのは本丸跡のみですが、貴重な史跡として市の文化財に指定されています。
築城は平安時代末の治承2年(1178年)足利俊綱によるとされます。源平合戦において、源頼朝と叔父の志田義広が戦った志田義広の乱(寿永2年(1183年))では志田方の城として、また室町時代の享徳3年(1454年)において古河公方と関東管領上杉氏が対立した享徳の乱では古河公方方の城として戦いの舞台となっています。
戦国時代に入り永禄2年(1559年)に佐野泰綱により佐野氏の支配下に置かれると、以後は唐沢山城の支城として、足利長尾氏に対する備えの役割を担うことになります。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原・北条氏攻めの時、秀吉の側近となっていた佐野天徳寺宝衍が、北条方から唐沢山城を奪還することに成功した後、天正20年(1592年)に隠居する際には赤見城を隠居所と定めて一時期居住しています。その後、慶長19年(1614年)の佐野家改易とともに廃城となり、400年以上続いた歴史に終わりを迎えます。
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更新日:2019年12月02日