藤姓足利氏

茶色で頭部に鋲のような突起がたくさんついている「甲冑金具 号避来矢」の兜鉢(かぶとはち)の写真

藤原秀郷の子孫である足利大夫成行は、天喜年間(1053~57)に足利駅の西北の山上に足利城を築きました。子孫に成綱・家綱・俊綱・忠綱などがいて、代々足利に領地を広げていきました。久安六年(1150)源義国が足利に住み、その子孫が足利氏と称されたことから、両氏を区別して、藤姓足利氏、源姓足利氏と呼ばれています。源姓足利氏が勢力を増してくると、両氏の間に領地をめぐる争いが生じました。源姓足利氏に対抗するためもあったのでしょうか、俊綱・忠綱は平氏の側に属し、源頼朝の勢力との戦いに臨むことになっていきます。

忠綱にまつわる伝説があります。源平の戦いで、秀郷が朝廷からいただいた鎧を着用した忠綱は、力戦の末疲れ果て、鎧を脱ぎ捨てたところ、その鎧がだれの目にもただの平たい石に見えたといわれています。そこからこの鎧は平石の鎧といわれています。また、避来矢(ひらいし)の鎧ともいわれ、着て戦うと、敵の射る矢が当たらないといわれています。この鎧は江戸時代に火災に遭い、焼け残った鎧の一部が「甲冑金具号避来矢(ごうひらいし)」の名称で、国の重要文化財に指定されています。

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更新日:2019年12月02日