佐野氏のはじまり
藤原秀郷からの系譜である藤姓足利氏は足利地域への土着を強め、広大な領域をもつ足利庄の庄司となっていきました。しかし、源姓足利氏である源義国が足利方面への勢力を強めると、藤姓足利氏と源姓足利氏で所領を巡る争いが生じるようになります。
この頃、藤姓足利氏の流れを汲む成俊は、唐沢山城を再興したとも、春日岡城(佐野城)に館を築いたともされています。また、佐野の庄司とされていることから、佐野地域へ関わりを深めたことが伺えます。
その後、頼朝の平氏追討や、源氏の勢力争いにおいて、藤姓足利氏は分裂をすることになります。一族の総領家である俊綱、忠綱は平氏や反頼朝にくみし、滅亡することになります。一方で、成俊に続くとされる有綱、基綱は、頼朝にくみし、藤姓足利氏の命脈を保つことになります。なかでも基綱は佐野太郎ともいわれ、佐野庄を基盤として、佐野氏の基礎を築いていったものと考えられます。
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更新日:2019年12月02日