戦国武将/佐野昌綱

丁髷頭に髭を生やし手に扇子を持ち傍に刀を置いて胡坐をかいて座っている佐野昌綱の肖像画

織田信長が一躍名を馳せることになった桶狭間の戦いと同じ永禄3(1560)年、佐野家の当主は豊綱の子、昌綱が継ぐことになります。昌綱は激動の時代を懸命に生き抜いた、文武兼備の武将とされています。

この頃関東地方では、戦国大名の北条氏政、上杉謙信、武田信玄が領土拡大のため、北関東への進出を頻繁に図るようになっていきます。なかでも、北条氏、上杉氏の抗争が繰り返されるようになり、要衝の地にある唐沢山城での攻防戦も激化していきます。北条氏には、唐沢山城の本丸周辺まで攻め込まれたことが文書から読み取れます。更に、上杉氏との唐沢山城周辺での攻防は10回程になり、なかでも飯守(盛)山での合戦は激戦であったとされます。

こうした戦国大名による抗争の狭間にあって、巧みに佐野を保持した昌綱は、天正2(1574)年、もしくは同7(1579)年に亡くなったとされています。死後、狩野派の絵師に描かせたとされる肖像画が残されていますが、佐野家歴代当主のなかでも唯一のもので、戦国武将の姿を偲ぶことのできる貴重な資料です。

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更新日:2019年12月02日