考古学からみた佐野氏拠点の変遷
『唐沢山城跡調査報告書』にお寄せいただいた調査指導委員会の浅野晴樹氏の論考を引用してご紹介します。
唐沢山城以前の佐野氏の中心拠点は吉水地区の清水城と考えられています。
清水城の本丸・二の丸・三の丸それぞれの曲輪は、本来個別の曲輪であったものを大きな構えの中に取り込み、堅固な城館へ変化したものとされています。このように変化する状況は北関東各地の状況と共通しており、およそ15世紀後半~16世紀前半のことです。
同時期の16世紀初頭には、佐野氏一族が唐沢山城西麓にも居館を構えていたと考えられています。
西麓の隼人屋敷からは16世紀中期~後半にかけてのかわらけ(素焼きの皿)・陶磁器などの遺物が多く出土し、隼人屋敷北側の大沢口では方形に廻る溝跡と掘立柱建物跡などが確認されました。西麓には家臣の屋敷跡が形成されていたと推測されております。
以上、清水城跡の構造の変遷や唐沢山城跡の遺物を中心に検討し、佐野氏周辺の城館は点在していたことが推測されるため、唐沢山城を理解するには、唐沢山以前と以後の佐野氏城館の変遷を検討することが必要であるとのご提言をいただいております。
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更新日:2019年12月02日