佐野市の歩み
現在の佐野市は、旧佐野市、旧田沼町、旧葛生町の1市2町が、平成17年2月28日の合併によって形成されたものです。ここでは、旧市町の歩みを振り返るとともに、新たな佐野市のページを文字どおり刻んでいきたいと思います。
新佐野市の歩み
平成17年2月28日 | 新市誕生 |
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平成19年3月 | みかもクリーンセンター竣工 |
平成20年10月 | 佐野市民病院が指定管理者制に移行 |
平成21年4月 | みかもリフレッシュセンター(余熱利用施設)オープン |
平成22年7月 | 佐野駅前交流プラザ「ぱるぽーと」オープン |
平成22年11月 | まちなか活性化ビル「佐野未来館」オープン |
平成23年3月 | 北関東自動車道が全線開通 |
平成23年4月 | 東北自動車道佐野サービスエリアの佐野SAスマートインターチェンジが開通 |
平成26年3月 | 唐沢山城跡 国指定史跡に指定 |
平成27年12月 | 佐野市役所新庁舎全面開庁 |
平成28年4月 | 新消防庁舎開庁 |
平成28年11月 | 内陸の港「佐野インランドポート」供用開始 |
平成30年3月 | 佐野国際クリケット場竣工 |
平成30年4月 | 佐野市民病院民設民営化 |
令和2年4月 | 佐野市最初の小中一貫校「あそ野学園義務教育学校」開校 |
令和3年6月 | 窓口の一部を民間委託開始 |
令和4年9月 | 北関東自動車道出流原パーキングエリアの出流原スマートインターチェンジが開通 |
旧佐野市の歩み

旧佐野市は栃木県の南西部に位置し、東西12キロ、南北14キロ、面積は、84.37平方キロメートルです。地形的には、足尾山地の南縁を形成する山地部と関東平野の北西縁部の平野部からなっています。北東部には、唐沢山県立自然公園、又、東端部には古く万葉の東歌に詠まれた三毳山がそびえ、それぞれハイキングコースの整備がなされ、市民の憩いの場となっています。南端には渡良瀬川が東流し、旗川、秋山川、三杉川等の河川が流れ込んでおり、水と緑に恵まれた環境にあります。
昭和39年12月首都圏内の都市開発区域の指定を受け、これを契機に大規模な都市づくりを図るため、市東部に130haの工業・住宅団地を造成しました。また、昭和47年11月には東北自動車道が開通し、現在首都圏まで50分、仙台まで3時間で結ばれるようになったほか、これに接続する国道50号線、293号線及び東西の産業道路等交通網が整備されました。
旧佐野市は、この様な背景のもとに「人間尊重、快適環境」を基調とした都市づくりを推進する中で、佐野駅南土地区画整理事業をはじめ21世紀を展望した新都市開発整備事業等大型プロジェクトの積極的な取組みが図られ、豊かな自然と恵まれた立地条件を生かし、個性と魅力ある県南中核都市をめざしてきました。
昭和18年 | 安蘇郡佐野町、植野村、界村、犬伏町、堀米町、旗川村を合併。市制を施行。 |
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昭和22年 | 天皇陛下佐野へ御巡幸される。 |
昭和24年 | 高萩に初の市営住宅完成。 |
昭和26年 | 第1回市民体育祭開催。 |
昭和30年 | 吾妻村を編入合併。 赤見町を編入合併。 |
昭和37年 | 新庁舎完成し執務開始。 |
昭和43年 | 両毛線複線化。(佐野~岩舟間) |
昭和44年 | 滋賀県彦根市と親善都市提携。 |
昭和47年 | 東北道開通。(岩槻~宇都宮間) |
昭和48年 | 佐野地区広域消防組合。(佐野・田沼・葛生・岩舟) 国道50号バイパス開通。(高萩町~上羽田町間4.3キロメートル) |
昭和55年 | 栃の葉国体開催。(佐野市はバレーボール会場) |
昭和60年 | 出流原弁天池湧水、環境庁「日本名水百選」に選ばれる。 |
昭和61年 | 陶芸家田村耕一氏が人間国宝に認定。 |
平成5年 | 全国高等学校総合体育大会開催。(佐野市は女子バレーボール) |
平成6年 | アメリカ合衆国ペンシルベニア州ランカスター市と姉妹都市提携。 |
平成7年 | 日光中禅寺湖畔に市民保養施設「レイクサイド佐野」オープン。 国民文化祭・とちぎ95開催。(佐野市はファッション・演芸祭) |
平成9年 | 中華人民共和国浙江省衢州市と友好交流都市提携。 |
平成10年 | 福岡県芦屋町と親善都市提携。 |
平成12年 | 全国こどもサミット佐野大会開催。 |
平成15年 | 新清掃センター建設用地を佐野新都市町谷地区へ決定。 |
旧田沼町の歩み

旧田沼町は町域は東西13.8キロメートル、南北26.6キロメートル、総面積180.04平方キロメートルで、ほぼ長方形をしており、その70%は恵み豊かな森林です。西北部に田沼町の最高峰・根本山(標高1,197メートル)を始め、熊鷹山、丸岩岳、野峰、奈良部山、多高山など1,100メートル級の広大な山岳地帯を経て県境で群馬県桐生市・東村と接する自然に恵まれております。高山から流れ落ちる清流は、大自然の造型・熊穴渓谷や落差45メートルの幻の滝「三滝」「遮断の滝」を代表に、いくつもの名瀑を創り出し、旧田沼町は滝の多い町としても知られていました。
また、日本三蓬莱のひとつに数えられる蓬莱山は、紅葉の名所として名高く、秋や新緑のシ-ズンを中心に、多くのハイカ-や観光客が訪れます。万葉集東歌の里、平将門を討伐した藤原秀郷(俵藤太)、江戸徳川中期に世に言う『田沼時代』を創出した田沼意次などゆかりの深い地域です。
旧田沼町は県都・宇都宮から50キロメートル、首都・東京から80キロメートル圏内にあり、JR両毛線、東武伊勢崎線に直結する東武佐野線、道路では国道293号線が走り、東北縦貫自動車道路佐野藤岡インターチェンジまで20分の距離にありました。そんな旧田沼町は美しい自然環境・歴史の輝きとともに、活気ある発展の見込まれる町として期待されてきた街でした。
昭和29年 | 田沼町、三好村、野上村を合併。 |
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昭和31年 | 飛駒村、新合村を編入合併。 |
昭和32年 | 関東以北初、下彦間で石垣苺栽培に成功。 |
昭和37年 | 中央公民館が優良公民館として文部大臣賞受賞。 |
昭和40年 | 野上川を「旗川」に改称。 |
昭和43年 | 町役場新庁舎完成。 |
昭和49年 | 栃木県・県南総合病院落成開院。 |
昭和50年 | 国道293号開通。 |
昭和52年 | 県立田沼高等学校開校。 |
昭和56年 | 全日本学校環境緑化コンクールで西中学校が日本一に選ばれる。 |
昭和58年 | 町役場庁舎新館落成。 |
昭和60年 | 町営バス運行開始。 第1回全日本小学生選抜ソフトボール大会で田沼クラブ優勝。 |
平成7年 | 田沼町運動公園(田沼町グリーンスポーツセンター)完成。 |
平成10年 | 日本列島の中心点を作原に設置。 |
平成12年 | オーストラリアマウンテンクリーク州立学校と姉妹校協定書を調印。 |
平成13年 | 温泉スタンド供用開始。 道の駅「どまんなかたぬま」オープン。 |
旧葛生町の歩み

旧葛生町は東西6.1キロメートル、南北22.7キロメートルと南北に長く、91.66平方キロメートルの面積を有しています。当町を含む付近一体は古くから足尾山地と呼ばれ、氷室山(1,154メートル)に代表される山々から東方向および南方向に次第に低く山稜が連なり、氷室山に端を発する秋山川が町を縦貫しています。
この地域は、もともと純朴な農山村として上流階級の衣類の原料となった良質の麻を栽培する土地であったといわれ、また西方から奥州に通じる街道の日光・宇都宮に至る間道の宿があったともいわれ江戸時代に旅人によりもたらされた石灰焼立の技術習得によって、「鉱都」としての石灰産業の歴史が始まりました。ここで生産された石灰は、のちに御用灰として上納され、また、庶民には土蔵の建造や肥料灰として利用されました。明治維新後、鉱山が民間へ払い下げとなり、大正時代にドロマイトの大鉱床が発見されると近代的機械の導入も促進され、以後セメント・砕石・ドロマイトの生産も進み、「鉱都葛生」としての基礎が固まりました。
豊かな自然に恵まれた、石灰・砕石産業を基幹産業とする旧葛生町の姿は現在でも変わることなく続いていますが、時代の流れとともにまちづくりの視点は「生産」から「生活」へとその重心が変化してきています。そこで、「語り合えるまち、大好きだといえるまちを創造すること」をまちづくりの基本理念として位置付け、新たなまちづくりを展開してきました。
昭和30年 | 葛生町、常盤村、氷室村が合併し、現在の「葛生町」が発足。 |
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昭和37年 | 町役場庁舎が完成。 |
昭和44年 | 会沢トンネル開通。 |
昭和46年 | 氷室中学校と常盤中学校を統合し、常盤中学校となる。 |
昭和49年 | 中運動公園開設。 |
昭和55年 | 水木小学校と秋山小学校が合併し氷室小学校となる。 |
昭和57年 | 町営バス運行開始。 |
平成8年 | あきやま学寮完成。 |
平成10年 | 総合福祉文化施設「あくとプラザ」完成。 葛生バイパス供用開始。 |
平成12年 | 吉澤家から国宝級を含む美術品515点が寄贈される。 まちづくり葛生株式会社設立。 |
平成13年 | 学校給食センターを田沼町と共同運営開始。 |
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更新日:2025年02月14日