吉美日誌(2024年)

更新日:2024年02月28日

「吉澤記念美術館では、こんなことをやっています」とご報告します。

2024年2月の記事

2024年2月16日(金曜日)佐野市立美術館運営協議会を開催しました

令和5年度運営協議会

2月16日(金曜日)に佐野市立美術館運営協議会を開催しました。委員の皆様からのご意見をもとに、今後の美術館運営に活かしてまいります。(や)

2024年2月9日(金曜日)作品掲載情報(山本茜)

山本茜《源氏物語シリーズ第三十三帖「藤裏葉」(光の道)》が『婦人画報』2024年3月号に掲載されました。同作品を含む山本作品3点が東京富士美術館「源氏物語」展(2024年2月24日~3月24日)で展示されます。

婦人画報

2024年1月の記事

2024年1月27日(土曜日)栃木県立美術館学芸員によるギャラリートークを開催しました

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子2

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子3

学芸員志田康宏氏

石川寒巌作品をお借りした栃木県立美術館の学芸員、志田康宏氏によるギャラリートークを開催しました。寒巌の生い立ちから、題材、画風の変化、技法に至るまで詳しく解説して頂きました。(ま)
 

2024年1月26日(金曜日)「石川寒巌」展のみどころ(1)白描と擦筆

寒巌白描

「近くで見る寒巌」コーナー
 

石川寒巌展では、「近くで見る寒巌」コーナーを設けています。
今回はこちらを中心に見どころをご紹介します。
【小泉檀山(斐)をモノクロ変換?】
中央の《西王母》は、「唐美人と見上げる童子」という構成です。この組み合わせは黒羽藩に仕えた江戸時代の絵師・小泉檀山(斐)がよく描いています。寒巌は黒羽出身でしたので、檀山作品を参照したかもしれません。ただし、檀山の唐美人図は基本的に着色画ですが、寒巌の本作では、細い線描・擦筆(さっぴつ、筆を擦りつけるような塗り)、そしてさりげなく金泥(金の絵具)が用いられています。この「モノクロ変換」の背景には、大正から昭和初期頃の画壇全体の「白描」への注目、また寒巌自身の「擦筆」への関心があるようです。
 

寒巌白描2

石川寒巌《西王母》(部分)
昭和7年(1932)、栃木県立美術館所蔵
 

寒巌白描3

石川寒巌《寒山習得》(部分)
昭和8年(1933)、栃木県立美術館所蔵
 

【白描】
まず細い墨線ですが、細い線描を主とする絵は「白描画」と呼ばれます。大正・昭和初期は、大和絵の吉川霊華など、分野を越えて白描画が注目され、寒巌の師、翠雲にも《濯足萬里流図》(大正9年/1920、永平寺蔵。本展での展示なし)など、白描が主要部分を占める重要な作品が知られています。
寒巌も昭和4年(1929)頃までの、表情豊かな筆で画面の隅々まで描き込む玉堂・大雅調の作風から一転して、昭和5年以降は白描を主とし余白を多く取る画面構成が目立ちます。特に本作のようなモノクロームの作品は議論を呼んだようで、下記のような論評が状況を端的に示しています。
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「人に依っては素純のようで拵え過ぎている、第一あの擦筆がきざだと云うが、私は本画こそ氏の本領の一画を発揮したものとして推称せざるを得ません。宋代あたりの白描や近くは竹田あたりの南画ばかりではない、古大和絵までも咀嚼含味しなおそこに近代人的感覚の下、斯画的効果を出そうとしたら、おのづからああいかざるを得ないでしょう」(注1)
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評者が言及する「宋代あたりの白描」については、昭和3年に開催された「唐宋元明名画展覧会」で李公麒の《五馬図》(北宋時代)が公開され(注2)、「竹田」すなわち田能村竹田については親しく交わった評論家・外狩素心庵が少し後に『竹田明蹟大図誌』(便利堂発行、昭和10年/1935)を編集しています(注3)。そして意外な「古大和絵」ですが、寒巌は《後徳大寺左大臣》(本展前期展示)といった大和絵風の試みも遺しており、「近くで見る寒巌」コーナーでご覧いただくことができます。
【擦筆】
いっぽう「第一あの擦筆がきざだ」と悪口も言われる擦筆ですが、逆にそれだけ注目されていたことがうかがえます。評者も「~せざるを得ません」と保留をつけながら、内心高く評価しているようにも見えます。実は寒巌は擦筆には比較的早くから関心を持っているようです。翠雲入門当初に近い《漁舟(白鷺図)》(本展前期展示)の揉み紙を活かした擦筆、《踏断流水》(本展前期展示)の玉堂風の淡い擦筆など、さまざまな紙質、手法で試みています。この時期のものは古代中国の画像石や瓦の拓本を思わせる硬さと古雅な雰囲気を帯びています。《西王母》と左隣の《寒山拾得》は、同時期のものですが、紙の風合いが異なり、擦筆も異なる効果が得られています。
以上のように、このコーナーで《後徳大寺左大臣》のすらりと流れるような大和絵風の線と、もっと細い《西王母》の線と擦筆、粗い繊維の紙の《寒山拾得》の髪や岩の擦筆と着色などを見比べて、晩年(40歳代前半)の寒巌が何を目指していたのか、思いを馳せていただければ幸いです。(す)
(注1)竹内梅松「南展評を聴く」『白日』6-5(昭和7年/1932)。寒巌が昭和7年の日本南画院展で発表した『碧厳画冊』に対する評。現代仮名遣いに直した。(https://dl.ndl.go.jp/pid/1520920)
(注2)《五馬図》公開の翌年、寒巌の師・小室翠雲は《八駿図》を発表しています。梅澤和軒「支那歴代の画馬と画馬の詩」『美之国』5-10(昭和4年/1929)
(注3)同書は当館収蔵企画展「そっとひらいてみれば」で展示。昭和17年(1942)時点に寒巌作品を11点所蔵していた吉澤晃南の蔵書。

1月22日(火曜日)石川寒巌展が開幕しました

寒巌館内
寒巌館内2
寒巌館内3

石川寒巌展が開幕しました。
洋画、浦上玉堂、白描と擦筆…さまざまな要素を取り入れて独自の画風を展開した石川寒巌は日本南画院の有力作家として期待を集めていましたが、惜しくも46歳で亡くなりました。
本展では、栃木県立美術館のコレクションにより寒巌のさまざまな取り組みを概観しつつ、作品を間近に見て描写の魅力を味わっていただくコーナーや、日記資料で寒巌が何を観て、誰と交流したかを考える資料コーナーを設けています。
併催として、第2室では当館の吉澤コレクションから江戸時代から寒巌と同時代のものまで小型の「南画」作品をご覧いただいています。現存するのは色紙1点のみですが、寒巌の頃の収集者である吉澤晃南も昭和17年時点で寒巌作品を11点所蔵しており、深い関心を寄せていました。また、陶芸家の板谷波山が明治末頃に黒羽に通い「かなめ焼」の生産に関して指導を行ったエピソードもご紹介しています。
当館ならではの内容と構成になっています。「寒巌は見慣れている」という方も、ぜひ当館でご覧ください。(す)

この記事に関するお問い合わせ先

佐野市吉澤記念美術館

〒327-0501
栃木県佐野市葛生東1-14-30
電話番号:0283-86-2008 ファクス番号:0283-84-3655
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