吉美日誌(2024年)

更新日:2024年06月17日

「吉澤記念美術館では、こんなことをやっています」とご報告します。

2024年6月の記事

2024年6月15日(土曜日)のんびり南画さんぽ後期開催中です

5月25日(土曜日)から開催している「のんびり南画さんぽ」の後期展示では、新たなアバターが仲間入りしました。

前期と比べてぐっとにぎやかさを増したアバターたちから、ぜひお気に入りを選んでみてください。(た)

のんびり南画新アバター

新たに登場したアバター

のんびり南画アバター台

展示室に入ってすぐ右側の台で皆様をお待ちしております。

今回ご紹介した南画のアバター(分身)は、展示室内にてお一人様一枚ずつ配布しております。

2024年5月の記事

2024年5月1日(水曜日)アバターさんぽの舞台裏

はじめまして。4月1日付で当館に着任いたしました。なんやかんやで4月に更新できずにいましたが、ようやく吉美日誌の仲間入りをさせていただきます。

4月は主に、館公式インスタグラムの更新に取り組んでおりました。3月から開催している当館企画展「のんびり南画さんぽ」の関連企画として、「のんびりお庭さんぽ」や「アバター出張日誌」と題した記事を投稿しています。ゆるいアバターさんたちを通して、展覧会にも気軽に足を運んでいただけるよう、日々ネタ探しをしています。

これを着想した源となったのは、2017年に東京都美術館で開催された「バベルの塔」展の公式Twitter(当時)でした。作品から飛び出した公式マスコットキャラクター「タラ夫」をご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。彼ほど精力的に動き回ることはまだまだできませんが、当館企画展にあわせて誕生したアバターさんたちとともに、のんびりした雰囲気をお伝えしたいと思ったわけです。

投稿第1号としてお届けしたレンギョウの開花リポート、あれを一つ完成させるまでにもなかなか苦戦しました。この日のアバターは小杉放菴「瀧十題」のうち「筧」に登場するおじいさん。曇り空の中、合わないピントをどうにかあわせて撮影してみたところ……

吉美日誌20240501

指が写ってしまっては台無しです。

吉美日誌20240501その2

レンギョウにおびえているように見えるおじいさん。

吉美日誌20240501その3

手に持っていてはなかなか安定しないので、枝の分かれ目にそっとおすわりしてもらいました。ようやく腰をおろした感が出たようです。

吉美日誌20240501その4

伝承館付近へ出張した際は、ちょっとでも安定してくれたらと後ろに支えをつけてみました。が、この通り。牛の足元から見えてしまっています。写真とは難しいものですね。

SNSの運用一つをとっても、個人的な投稿ではついぞ気にしたこともなかった構図や明るさ、全体的な印象にも目を向ける習慣がつき、学ぶことが多かったです。まだまだほんの駆け出しですが、いずれこの場で作品解説ができるように精進してまいります。皆さま何とぞよろしくお願いします。(た)

2024年3月の記事

2024年3月27日(水曜日)3Dデータ撮影(とちぎデジタルミュージアム)

3D撮影

先日、「とちぎデジタルミュージアム”SHUGYOKU”」事業の一環として、香取秀真《鋳銅梅竹文透釣燈籠写》(丸山瓦全依嘱、大正13年(1924))の3D撮影を実施しました。どんなデータが出来上がるのか、楽しみです!(す)

2024年3月11日(月曜日)「石川寒巌展」のふりかえり

石川寒巌《子牛》栃木県立美術館(展示風景)

 石川寒巌《子牛》

栃木県立美術館所蔵
 昭和6年(1931)

第10回日本南画院展出品

石川寒巌《子牛》栃木県立美術館所蔵(部分)

石川寒巌《子牛》(部分)

栃木県立美術館

 「石川寒巌展」が先日無事閉幕しました。ご来館の皆様には熱心に見ていただけたようです。名残惜しいところですが、印象深い作品についてふりかえっておきたいと思います。
《子牛》は、栃木県立美術館の日本画作品の中でも人気の高い作品です。しかし「墨を駆使した枯淡な作風」のイメージの強い石川寒巌の中では少し特異な作例でもあります。
 昭和6年(1931)、第10回日本南画院展に出品され、当時「まるで別人」と戸惑われながらも展覧会評での言及は多く、注目の的ではあったようです。当時の作品評2件を見てみましょう。
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 石川寒巌氏の小品十六点即ち『賞心十六事』、独特の趣がある。中でも名香、涼雨など特殊の味を漂して居るが、別に六曲半双の金屏に『子牛』を描いたのは氏として珍らしい作で、南画を放れて、竹の線や色や子牛の描き方など、まるで別人の如く思はれる。
 高澤初風「南画院の作品」『藝術』9(17),大日本藝術協會,1931-09
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1560367
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 『小牛』(原文ママ)は金屏六曲半双へ竹林中の黒牛を描いたもので、写実を基礎になお装飾的効果の表出をも企図したものであるが、氏の心境を画筆に託すには、斯る方途は決してその当を得たものではない。謂はゞ精力のアビューズともいふべく、労多くして効無きものである。不断に研鑽をつづけ、よりよき何ものかを求めんとする態度は窺うに難くはないが、本画は自分としては与し能はざるところである。これに引き換へ『賞心十六事』は、人物、花卉、鳥禽の類ひを取り扱ったもので、宜しきを得た取材は、運熟し来った淡雅な筆技と相俟ち、ふさはしい斯画的境地を打開せるものと云って宜しからう。うち、自分は『花塢樽前微笑』と在る唐人物や『飛来佳禽自語』と在る小禽の如きをいゝものに思った。
 竹内梅松「南画展第十回を観る」『白日』第5年(10),白日荘,1931-10
 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1520914
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 このように、金や緑の竹の鮮やかさに目を奪われ、寒巌の枯淡な作風を楽しみにしていた人たちには不評だったようですが、実際に作品を見てみると、寒巌の技術的関心はやはり「黒/墨」にあったように思われます。ツヤツヤの毛、渦巻くつむじ、キラキラの瞳、モケモケの角や蹄、つやつや黒光りするおしりなど、さまざまな質感の「黒」の表現に工夫を凝らしています。そのように見てみれば、線描や擦筆など、墨の表現を追求した寒巌の成果が、この子牛の愛らしさに結実しているといえましょう。
 さて、子牛の「後方を振り返る黒い牛」のポーズは、鎌倉時代の名画《駿牛図》(東京国立博物館)を想起させます。本作品と前後する時期に、寒巌は真っ黒な《馬図》も描いており、黒い牛馬の描写への関心を持っていたことがわかります。さらに「馬の絵」から連想をめぐらすと、中国の名画・李公麟《五馬図巻》(東京国立博物館)が約80年ぶりに見つかり、話題を呼んだことも記憶に新しいところです。その《五馬図巻》は、所在不明になる前、昭和3年(1928)の「唐宋元明名画展覧会」で日本初公開され、高い関心を集めています。その翌年、寒巌の師・小室翠雲が《八駿図》を発表しています。《五馬図巻》に黒い馬は描かれませんが、線描に意欲的に取り組んでいた寒巌が、《五馬図巻》の線描のすばらしさに接しなかったとは考えにくいでしょう。《五馬図巻》や師の《八駿図》に触発された寒巌は、牛馬の探求に向かったのでしょうか…。いずれにしても、現在の私たちも見ることのできる日本や中国の名品を、寒巌がどんな風に眺めていたのかと想像するのは楽しいことです。
 当館での展示は終了してしまいましたが、栃木県立美術館のコレクション展示などで《子牛》を観られる機会も少なくありません。その際にはぜひ、子牛の愛らしい瞳やつむじに目をこらしていただきたいと思います。(す)
参考リンク:
 石川寒巌《子牛》(栃木県立美術館)
https://www.art.pref.tochigi.lg.jp/collection/title/0010.html
 《駿牛図》(東京国立博物館)
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A30
 李公麟《五馬図巻》(東京国立博物館)
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2022/10/14/MasterpiecesOfChineseArt2022-2/
石川寒巌《馬図》栃木県立美術館所蔵
石川寒巌《馬図》
栃木県立美術館所蔵
石川寒巌《馬図》栃木県立美術館(部分)
 石川寒巌《馬図》(部分)
栃木県立美術館所蔵

2024年3月6日(水曜日)作品貸出中「山本茜」

富士美術館ポスター

東京都八王子市の東京富士美術館にて開催中の「源氏物語THE TALE OF GENJI」展に当館から山本茜《源氏物語シリーズ 第一帖「桐壺」》など3点を出品しています。ぜひお出かけください。(ま)

展覧会名:「源氏物語THE TALE OF GENJI」

会場:東京富士美術館

会期:2024年2月24日(土曜日)~3月24日(日曜日)

*会期中の展示替など、詳しくは同館公式サイトなどでご確認ください。

2024年3月5日(火曜日)作品掲載情報(菜蟲譜・小堀鞆音)

当館所蔵作品が掲載されました!図書コーナーで閲覧可能です。ぜひご覧ください。(ま)

あじ

神永暁監修『あじ』講談社、2024年=伊藤若冲《菜蟲譜》

大和文華

『大和文華』第144号、大和文華館、2023年(宮崎もも「江戸時代後期の住吉家の動向ー五代当主広行を中心にー」の挿図として)=小堀鞆音《高殿》

2024年3月3日(日曜日)みどころトーク「南画の流れの中でみる寒巌」を実施しました

20240303みどころトーク風景

当館学芸員による「石川寒巌展」のみどころトークを開催しました。寒巌が参考にしたであろう作品や得意とする技法、同時代の画家、日記からみるパトロンの存在まで多岐にわたり講演しました。(ま)

2024年2月の記事

2024年2月16日(金曜日)佐野市立美術館運営協議会を開催しました

令和5年度運営協議会

2月16日(金曜日)に佐野市立美術館運営協議会を開催しました。委員の皆様からのご意見をもとに、今後の美術館運営に活かしてまいります。(や)

2024年2月9日(金曜日)作品掲載情報(山本茜)

山本茜《源氏物語シリーズ第三十三帖「藤裏葉」(光の道)》が『婦人画報』2024年3月号に掲載されました。同作品を含む山本作品3点が東京富士美術館「源氏物語」展(2024年2月24日~3月24日)で展示されます。(ま)

婦人画報

2024年1月の記事

2024年1月27日(土曜日)栃木県立美術館学芸員によるギャラリートークを開催しました

ギャラリートークの様子
ギャラリートークの様子2
ギャラリートークの様子3

石川寒巌作品をお借りした栃木県立美術館の学芸員、志田康宏氏によるギャラリートークを開催しました。寒巌の生い立ちから、題材、画風の変化、技法に至るまで詳しく解説して頂きました。(ま)
 

2024年1月26日(金曜日)「石川寒巌」展のみどころ(1)白描と擦筆

寒巌白描

「近くで見る寒巌」コーナー
 

石川寒巌展では、「近くで見る寒巌」コーナーを設けています。
今回はこちらを中心に見どころをご紹介します。
【小泉檀山(斐)をモノクロ変換?】
中央の《西王母》は、「唐美人と見上げる童子」という構成です。この組み合わせは黒羽藩に仕えた江戸時代の絵師・小泉檀山(斐)がよく描いています。寒巌は黒羽出身でしたので、檀山作品を参照したかもしれません。ただし、檀山の唐美人図は基本的に着色画ですが、寒巌の本作では、細い線描・擦筆(さっぴつ、筆を擦りつけるような塗り)、そしてさりげなく金泥(金の絵具)が用いられています。この「モノクロ変換」の背景には、大正から昭和初期頃の画壇全体の「白描」への注目、また寒巌自身の「擦筆」への関心があるようです。
 

寒巌白描2

石川寒巌《西王母》(部分)
昭和7年(1932)、栃木県立美術館所蔵
 

寒巌白描3

石川寒巌《寒山習得》(部分)
昭和8年(1933)、栃木県立美術館所蔵
 

【白描】
まず細い墨線ですが、細い線描を主とする絵は「白描画」と呼ばれます。大正・昭和初期は、大和絵の吉川霊華など、分野を越えて白描画が注目され、寒巌の師、翠雲にも《濯足萬里流図》(大正9年/1920、永平寺蔵。本展での展示なし)など、白描が主要部分を占める重要な作品が知られています。
寒巌も昭和4年(1929)頃までの、表情豊かな筆で画面の隅々まで描き込む玉堂・大雅調の作風から一転して、昭和5年以降は白描を主とし余白を多く取る画面構成が目立ちます。特に本作のようなモノクロームの作品は議論を呼んだようで、下記のような論評が状況を端的に示しています。
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「人に依っては素純のようで拵え過ぎている、第一あの擦筆がきざだと云うが、私は本画こそ氏の本領の一画を発揮したものとして推称せざるを得ません。宋代あたりの白描や近くは竹田あたりの南画ばかりではない、古大和絵までも咀嚼含味しなおそこに近代人的感覚の下、斯画的効果を出そうとしたら、おのづからああいかざるを得ないでしょう」(注1)
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評者が言及する「宋代あたりの白描」については、昭和3年に開催された「唐宋元明名画展覧会」で李公麟の《五馬図》(北宋時代)が公開され(注2)、「竹田」すなわち田能村竹田については親しく交わった評論家・外狩素心庵が少し後に『竹田明蹟大図誌』(便利堂発行、昭和10年/1935)を編集しています(注3)。そして意外な「古大和絵」ですが、寒巌は《後徳大寺左大臣》(本展前期展示)といった大和絵風の試みも遺しており、「近くで見る寒巌」コーナーでご覧いただくことができます。
【擦筆】
いっぽう「第一あの擦筆がきざだ」と悪口も言われる擦筆ですが、逆にそれだけ注目されていたことがうかがえます。評者も「~せざるを得ません」と保留をつけながら、内心高く評価しているようにも見えます。実は寒巌は擦筆には比較的早くから関心を持っているようです。翠雲入門当初に近い《漁舟(白鷺図)》(本展前期展示)の揉み紙を活かした擦筆、《踏断流水》(本展前期展示)の玉堂風の淡い擦筆など、さまざまな紙質、手法で試みています。この時期のものは古代中国の画像石や瓦の拓本を思わせる硬さと古雅な雰囲気を帯びています。《西王母》と左隣の《寒山拾得》は、同時期のものですが、紙の風合いが異なり、擦筆も異なる効果が得られています。
以上のように、このコーナーで《後徳大寺左大臣》のすらりと流れるような大和絵風の線と、もっと細い《西王母》の線と擦筆、粗い繊維の紙の《寒山拾得》の髪や岩の擦筆と着色などを見比べて、晩年(40歳代前半)の寒巌が何を目指していたのか、思いを馳せていただければ幸いです。(す)
(注1)竹内梅松「南展評を聴く」『白日』6-5(昭和7年/1932)。寒巌が昭和7年の日本南画院展で発表した『碧厳画冊』に対する評。現代仮名遣いに直した。(https://dl.ndl.go.jp/pid/1520920)
(注2)《五馬図》公開の翌年、寒巌の師・小室翠雲は《八駿図》を発表しています。梅澤和軒「支那歴代の画馬と画馬の詩」『美之国』5-10(昭和4年/1929)
(注3)同書は当館収蔵企画展「そっとひらいてみれば」で展示。昭和17年(1942)時点に寒巌作品を11点所蔵していた吉澤晃南の蔵書。
2024年3月12日1字修正

1月22日(火曜日)石川寒巌展が開幕しました

寒巌館内
寒巌館内2
寒巌館内3

石川寒巌展が開幕しました。
洋画、浦上玉堂、白描と擦筆…さまざまな要素を取り入れて独自の画風を展開した石川寒巌は日本南画院の有力作家として期待を集めていましたが、惜しくも46歳で亡くなりました。
本展では、栃木県立美術館のコレクションにより寒巌のさまざまな取り組みを概観しつつ、作品を間近に見て描写の魅力を味わっていただくコーナーや、日記資料で寒巌が何を観て、誰と交流したかを考える資料コーナーを設けています。
併催として、第2室では当館の吉澤コレクションから江戸時代から寒巌と同時代のものまで小型の「南画」作品をご覧いただいています。現存するのは色紙1点のみですが、寒巌の頃の収集者である吉澤晃南も昭和17年時点で寒巌作品を11点所蔵しており、深い関心を寄せていました。また、陶芸家の板谷波山が明治末頃に黒羽に通い「かなめ焼」の生産に関して指導を行ったエピソードもご紹介しています。
当館ならではの内容と構成になっています。「寒巌は見慣れている」という方も、ぜひ当館でご覧ください。(す)

この記事に関するお問い合わせ先

佐野市吉澤記念美術館

〒327-0501
栃木県佐野市葛生東1-14-30
電話番号:0283-86-2008 ファクス番号:0283-84-3655
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