椿田城跡(つばきだじょうせき)

左側に椿田城跡西側の水掘の上に木々が生い茂っている写真、右側に草が生えた水堀とその向こうに森のような木々がある、南西からみた椿田城跡の写真

椿田城跡は、船津川町に残る平城で、城跡の西側には才川が流れています。当地は、佐野小太郎盛綱のときに、客将として招かれた福地丹波守仲久が初めて居住し、その後、仲久から四代後になる福地出羽守寧久が、永禄3年(1560)に、当城を築きました。当城は、唐沢山城の最南端の出城として構築され、川越・忍(おし)・館林の三城のおさえとしたとされ、市の指定史跡になっています。佐野氏の改易とともに廃城となり、それ以後は福地氏が名主として代々当地に居住しました。福地家には、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を攻撃する際、その臣加藤清正からの要請を受けて、天徳寺宝衍(てんとくじほうえん)が、福地氏を含む佐野家の重臣5名に命じて提出させた絵図の控えも残っていて、市の指定有形文化財として、佐野市立郷土博物館に保管されています。

現在、城跡を長方形状にめぐっている水堀が、城の内堀だったと考えられ、内堀をめぐらす内郭と、その周囲に城地を構えていたと考えられます。内郭の規模は、東西約65メートル、南北約100メートルになり、堀の幅は、場所によって多少異なりますが、概ね2メートル程、深さは約1メートルになります。木の杭などで護岸された水堀は、用水路として使用され、今もなお周辺住民の生活に活かされています。

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更新日:2019年12月02日