浅利城跡、須花城跡(あざりじょうせき・すばなじょうせき)

右上に須花城跡方面の遠景、右下に須花城跡本丸、左上に浅利城跡遠景、左下に浅利城跡の石垣の4枚の写真

浅利城跡は閑馬町に残る山城です。当城は宝徳3年(1451)、佐野氏の一族の神馬七郎忠光が築き、天文15年(1546)に廃城になったと伝えられます。山頂本丸周辺には削平地や堀切に加え、石垣なども認められます。331メートルの山頂からは閑馬一帯ばかりでなく、唐沢山城跡や佐野方面も見渡せます。また、ここから少し西側の尾根の頂からは、須花方面も眼下に望めます。

須花城跡は下彦間町に残る標高約200メートルの山城で、別名小坂城ともいいます。築城は佐野国綱と伝えられます。本丸周辺には土塁を巡らせた削平地と堀切が認められます。皆様ご存じのように、須花周辺は、佐野宗綱が天正13年(1585)、足利長尾方に討たれた地としても知られています。また、本城の東側には、正光寺城跡も残されています。

浅利城跡、須花城跡(正光寺城跡含む)、更に、これまでに紹介してきた白岩城跡(白岩町)やアド山城跡(仙波町)は、唐沢山城跡からほぼ等距離に位置し、石垣を伴う城跡が多く認められます。この他、蓬山城跡(作原町)や要谷山城跡(飛駒町)でも石垣が認められます。こうした城跡は、唐沢山城の出城として整備された可能性も考えられます。

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更新日:2019年12月02日