秀綱の家訓

右側には座禅を組んだ大仏があり中央に観音寺の建物、左側には庭園に松の木と石灯籠がある写真

佐野盛綱の死後、子の秀綱が佐野家の家督を継ぎました。時期は大永7年(1527)頃と考えられています。

秀綱が発した文書に、佐野家にとっては家訓ともいうべき文書があり、十二条からなる家訓は、『佐野市史』によると、次の内容になります。

母のいうことをよく聞け。一生懸命に奉公せよ。無駄な寄合をするな。上下・小袖・帷子など衣服は贅沢にするな。(未読一条あり)裁判や処罰は厳重にしろ。無駄な浪費をするな。馬は肥やして、自分はやせるほど働け。狂言にも偽りをいってはならない。持具足は質素を心掛けよ。他人と簡単に寄合うな。不平・不満は、申し立ててはならない。

佐野家の当主としての秀綱が、子の泰綱か、またはその一族らに送ったものと考えられています。戦国時代の武将たちは、よく家訓を残していて、秀綱の家訓もその一つとして貴重な史料です。家訓の内容から、秀綱は一族を厳しく律することで、乱世を乗り切ろうと考えていたのかもしれません。

なお、秀綱は大永年間に天命村に観音寺を建立したとされています。

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更新日:2019年12月02日