市長の記者会見【令和7年11月5日の案件】

(1)吉澤記念美術館企画展「関東南画の良き友-吉澤松堂と下野ゆかりの画人・文人たち」展における田中正造関係資料の公開について

「関東南画の良き友-吉澤松堂と下野の画人・文人たち」展における田中正造(しょうぞう)関係資料の公開について、ご説明いたします。本展覧会は、令和7年11月1日・土曜日から、12月14日・日曜日まで、佐野市立吉澤記念美術館で開催いたします。

展覧会の概要でございますが、佐野市立吉澤記念美術館の活動の核となる「吉澤コレクション」の創始者であり、江戸時代の豪農・吉澤松堂と画家や文人たちとの交流を紹介する内容となります。

展覧会の準備過程で、一か月ほど前、田中正造に関する資料が新たに確認されました。それは、吉澤松堂が、絵の依頼を記録した『竹画属記』で、この中に「小中村・田中兼三郎に手本類を描いて遣った」という意味の記述があることが確認されました。この「田中兼三郎」は田中正造の幼名です。吉澤松堂は、現在の佐野市葛生に住み、酒造業などの一方で、墨で竹を描く「墨竹画」を得意としました。この資料は、今回初めて公開いたします。

田中正造が吉澤松堂に画を学んだこと自体は、以前から知られていました。それは、田中正造による明治28年の読売新聞連載「正造昔話」で「予、齢十四(略)葛生町の人吉澤松堂に就いて画を学ばんとし云々」と、約40年前を回顧した記事によるものでした。今後の詳しい調査が必要ですが、「田中正造が吉澤松堂に絵を習った」という事実が、吉澤松堂という当事者による記述で、裏付けられたという意義があります。

田中正造は、自由民権運動に邁進した明治13年、「中節社」を結成していますが、設立者の一人・湧井藤七は吉澤松堂の孫にあたります。この資料の発見は、正造の初期の活動基盤を考える上で大きな意義があると考えています。

ぜひ多くの方々にご観覧いただき、江戸時代の佐野市域の文化が、明治の偉人・田中正造を育んだことを知っていただきたいと考えております。

(2)本市におけるツキノワグマの目撃(出没)状況と対策について

本市におけるツキノワグマの目撃・出没状況と対策について説明いたします。はじめに、本年度における目撃等の件数ですが、10月31日時点で、佐野地域4件、田沼地域12件、葛生地域11件、合わせて27件となっております。なお、昨年同時期は25件でした。

クマの目撃情報が入った際の対応でございますが、目撃等の情報が入った時は、担当職員が現地に出向き、通報者などから情報を入手すると共に、痕跡や状況等の確認を行います。また、地元の町会長や猟友会、教育委員会、更に関係機関等へ情報提供を行っております。市民の皆様への情報提供の手段としましては、地域住民への回覧による周知や広報車での注意喚起、啓発看板の設置等を行います。10月に入りクマの目撃情報が多数寄せられたことから、防災行政無線により市内一斉に放送し、周知を図ったところです。捕獲につきましては、猟友会や地域の皆様にご協力をいただき、適切な場所に「ドラム缶式の捕獲わな」の設置を行っております。なお、これまでに6基を設置しましたが、現時点おいて捕獲には至っておりません。

クマの目撃情報の中には、児童生徒の通学路付近も含まれておりましたので、登下校時の安全を確保するために、この度緊急対策として、本市で熊よけ鈴を購入し、児童生徒へ配布することにいたしました。まずは、目撃情報に基づき、あそ野学園義務教育学校、葛生義務教育学校、赤見地区の小中学校の全児童生徒に熊よけ鈴を配布いたします。また、市教育委員会でクマ出没時の学校の対応マニュアルを作成し、校長会議において、共通理解を図りました。児童生徒の命を守るために、市・市教育委員会・学校が緊密な連携を図り、対応に取り組んでまいります。

なお、庁内におけるクマ出没に対する体制につきましても、クマ対策緊急庁内会議を行い、市民の安全確保に向け迅速な対応ができるよう、各部の役割分担を整えるとともに、「さのスマートセーフマップ」の中に新たに「クマ目撃出没箇所」のコンテンツを加え、11月1日からクマ目撃情報の見える化を図ったところです。

今後も引き続き、市民の皆様の命を守る、そして安全・安心を第一に、ツキノワグマを含めた獣害対策の強化に取り組んでまいります。

この記事に関するお問い合わせ先

総合政策部広報ブランド推進課広報・地域連携係

〒327-8501
栃木県佐野市高砂町1
電話番号:0283-20-3037 ファクス番号:0283-21-5120
お問い合わせフォームはこちら

更新日:2025年11月05日